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鉄人・岩瀬仁紀選手  ~葬儀社社員日記~

皆様こんにちは。西田葬儀社の蜷川です。
昨日3月2日に、中日ドラゴンズ・岩瀬仁紀選手の最後の登板と引退セレモニーがありました。
岩瀬選手と言えば、野球をご存知の方でしたら
知らない人はいないくらいの伝説の選手です。
特に地元のドラゴンズファンの方でしたら、岩瀬選手は本当に英雄的な存在です。
愛知県西尾市出身で、生まれも育ちもプロ生活20年もすべて愛知県で、
中日ドラゴンズ一筋で現役生活を終えました。
岩瀬選手の凄いところは、まずは1002試合登板という、歴代で最も多い試合数に出たということです。
さらに凄い所は、登板のそのほとんどは「守護神・ストッパー」と言われる、
勝ってるときの一番最後の回を抑える役目だったことです。
守護神というのは1年務めるだけでも本当に大変なのに
10年近く不動の守護神としていたことは、今思えば考えられないことです。
守護神として「407セーブ」という記録は、前人未到どころか、これから超える人も出てこないかもしれません。
岩瀬選手は星野監督や落合監督の元で活躍し、念願の日本一が決まったときもマウンドにいました。
引退会見でも言っていましたが、毎回マウンドに行くときは怖かったそうです。
岩瀬選手はお酒はまったく飲めず、ブランドや服にも無頓着で豪快なイメージはないのですが、
毎日8時間の睡眠は確実に確保し、大きな怪我もせず、淡々と積み重ねていった結果が大記録に繋がったのかと思います。
昔はナゴヤドームで9回表の最終回に勝っていると、場内アナウンスで「ファイアマン!」とコールされていました。
そうするとナゴヤドームは大歓声に包まれ、岩瀬選手が出てきます。
伝家の宝刀の高速スライダーは消える魔球と呼ばれ、相手の強打者たちを完全に封じます。
あの松井秀喜選手もまったく手が出ませんでした。
伝説の選手は引退しますが、岩瀬選手の残したイズムは誰かに受け継がれていってほしいと思います。
ファンとしては、黄金時代の立役者として本当に感謝しています、20年間お疲れ様でした。

  • この記事を書いた人
蜷川 顕太郎

蜷川 顕太郎

最後の刻も故人様らしく迎えられるように全身全霊を尽くします。

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