社員ブログ

明珠在掌 ~葬儀社社員日記~

皆さんこんにしだ。西田葬儀社の蜷川です。
新年明けましておめでとうございます。2021年も宜しくお願い致します。
新年1本目のブログは、禅語で良いなぁと思った言葉があったのでそれをご紹介します。
それがブログタイトルの「明珠在掌」です。(みょうじゅ、たなごころにあり)と読みます。
これの意味は「明珠(大切な宝)は外の世界ではなく、もうすでにあなたの掌にあるんですよ」という意味です。
新年になると初詣で、神様や仏様にいろんな祈願をすることがあると思います。
「今年一年無事に過ごせますように」「幸せになれますように」「良い出会いがありますように」…などなど
願いというのは人の数だけ様々でしょうが、これら全てに共通していることが、
今の自分にないものや、未来の不安に対してフォーカスしているともいえます。
未来が分からないから無事に過ごせるように神様にお願いする、今の自分がさほど幸せじゃないから幸せにしてもらう、
今の自分に良い出会いがないから、良い出会いを求める…
つまり願うことというのは、今の自分が持っていないことに対して願うのです。
例えるなら、その手のひらで外の世界の物をつかもうとする行為です。
その中には実際に手が届くものもあるでしょうが、
まるで星をつかみにいくような無理なこともあると思います。
けれど僕たちは、今の自分が持っていない物がそんなにも重要なのでしょうか。
しかし逆に、今の自分が人生や日常でもらっている様々なプレゼントに対して
それにフォーカスしている人は果たしてどれだけいるでしょうか。
人間の欲望にはキリがありません。
叶わなければ不満を思い、1つ叶えば2つ目が欲しくなり、100個叶っても満足を知りません。
むしろ叶えば叶うほど、喜ぶことや感謝を忘れて、全てが当たり前になってしまいます。
だからこそ禅語の「明珠在掌」なのです。
確定していない未来や自分の持っていないものにフォーカスしても、幸せになれるとは限りません。
しかし自分の持っているものや、今の自分自身や過去のことなら確定しています。
これらに注目することで確かな幸せを感じることができますし、
願掛けで重たい雰囲気を出している人よりも
そもそも日常的に幸せを感じている人の方が、より幸せなことを引き寄せられると思います。
手のひらは手を握ってしまえば中の大切な宝物は見えなくなってしまいますが、
たまには手のひらを開けることも習慣化していきたいですね。

  • この記事を書いた人
蜷川 顕太郎

蜷川 顕太郎

最後の刻も故人様らしく迎えられるように全身全霊を尽くします。

-社員ブログ

© 2024 名古屋市昭和区・瑞穂区・天白区の家族葬