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高木守道さん。ミスタードラゴンズ  ~葬儀社写真日記~

皆様こんにちは。西田葬儀社の蜷川です。
先日すごく驚いた訃報がありました。
ミスタードラゴンズ・高木守道さんが78歳で亡くなりました。
ご冥福をお祈り致します。
僕は高木さんの現役時代を見たことはありませんが、
ミスタードラゴンズとして長年守備の名手としてドラゴンズ一筋でご活躍されました。
引退後も解説者、中日の情報番組に出演され、
1992~1995年、2012年~2013年で2回監督をされました。
高木監督で印象に残っているのは甲子園での阪神タイガース戦、
若手の高橋周平選手がバックスクリーンに満塁ホームランを放ったときに
まるで孫相手に喜ぶように、とても嬉しそうな顔をしていたのが今でもよく覚えています。
その高橋選手をドラフトの抽選で引き当てたのも、高木監督でした。
今ではその高橋周平選手は、ドラゴンズには欠かせない主力選手として
昨年は選手会長を務めるまでに成長しました。
そして高木監督は、おそらくプロ野球で最も有名な試合の一つ、
10.8決戦(シーズン最後の試合で勝った方が優勝の試合、相手は巨人)
のときの監督です。
両者総力戦の末に中日は敗れてしまいましたが、
10.8決戦で監督として巨人に勝てなかったことを
長年高木監督は負い目に感じていたそうです。
そして高木監督でもう一つ印象的なのは、2013年のナゴヤドームの最後のスピーチ。
その年のドラゴンズの成績は悪く、前の監督の落合監督のときが黄金時代だったこともあって
その時のナゴヤドームは異様な雰囲気に包まれ
ファンからの罵声が飛ぶような状況になってしまいました。
チームの不振について高木監督は責任を感じていたそうで、
それ以来ドラゴンズに関する番組にあまり出演しなくなってしまいました。
長年ドラゴンズを第一線で支えていた功労者なのに、最後はあまりにも悲しい仕打ちになってしまいました。
監督時代はファンをとても大切にし、ファンサービスが誰よりも手厚い人だったと思います。
そして何よりドラゴンズを愛した人だったと思います。
これからも天国から、もしくはひっそりとナゴヤドームに観に来て、
高木さんの意志を継ぐ選手たちの頑張りを、
これからも見守ってほしいなと思いました。

  • この記事を書いた人
蜷川 顕太郎

蜷川 顕太郎

最後の刻も故人様らしく迎えられるように全身全霊を尽くします。

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