お葬式のギモン

葬儀とは?お葬式とは? 時代や文化に影響された変化の歴史

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葬儀・お葬式とは人が亡くなった際の弔いの総称です。
生命である人間にとって、「死」は対極であると共に、常に隣り合わせでもあります。
また葬儀とは「死」と向き合うことです。その向き合い方は価値観や死生観、文化に色濃く影響されます。
人類の歴史の中で葬儀はどのように変化し、今に受け継がれているのでしょうか。様々な観点から見ていきます。

原始の葬送

葬儀は現代では様々な宗教儀礼に則って弔うことが通例になっていますが、それらの宗教ができる前から弔いはありました。

人類の祖先であるネアンデルタール人はおよそ6万年前に故人に対して花を手向けていたこと

が研究で分かっています。この傾向は人が他の動物とは違う側面の一つです。
このような弔いの心があることこそ、人が人である由縁の一つなのかもしれません。

葬儀とは"死"と向き合うこと

また葬儀とは故人様のためだけでなく、残されたご遺族のためのものでもあります。愛する方と死別する悲しみは耐え難く、時には受け入れられないこともあります。
また、その方と「これからも一緒に生きるはずだった時間」のことを思い、現実から心が離れてしまうこともあります。深い悲しみを癒す過程は「グリーフケア」と呼ばれ、悲しみの癒し方は一様ではなく、方法や進行も人により違います。その段階によって拒絶や怒り、他人と距離を置く孤立、何かにすがろうとしたり、抑うつにより何も手につかなくなったり、喪失感により諦めに似た絶望を感じたり、様々な過程を経て受容に向かいます。
それでは人類の弔いの長い歴史の中で、葬儀はどのように人の悲しみの心に寄り添い、執り行われてきたのでしょうか。

あの世は海の果てに ~舟葬~

縄文時代には"舟葬"という死者送りがありました。

亡骸を小舟に乗せて川や海に流す

という方法です。
"海上他界"という考え方があり、海の彼方に常世の国があるという思想です。
この考えから発展して、棺自体を舟型にして埋葬されていることもあります。

死を確認するために ~殯(もがり)~

日本の古代の葬送の習慣として、殯(もがり)があります。
殯(もがり)とは

埋葬するまでの期間に、ご遺体を仮安置で長い間その状態にしておくこと

です。
すぐに埋葬をしないことで死者の復活を願いつつも、ご遺体が年月の経過により腐敗、白骨化の過程を得る中で、最終的な死を確信するために行われます。

縁故ある人の葬列 ~野辺の送り~

野辺の送りとは、

葬儀が終わった後に埋葬地や火葬場に向かう道で葬列を組んで向かうこと

です。かつての日本では先頭に松明を持つ人がおり、この炎が魔除けになると考えられていました。
よってこのことを野辺の送り火ともいいます。葬列の内容は地域によって様々ですが、列になってお柩をかつぐ人、お位牌持ちや飯持ち、水桶持ちなどそれぞれに役割がありました。
野辺の送りは江戸時代には夜に行うものであったり、神社などの神聖な土地は避けて通るなどの決まりがありますが、日本以外の世界を見渡すと、全員が黒いローブを羽織って無言で歩く場合や逆に全員で聖歌を歌って華やかに行進する場合もあります。現代の日本では野辺の送りは霊柩車の後にご遺族の車やバスが付いていく形式になっています。

お棺のお納め方法 ~屈葬と伸展葬~

現代のお棺は、

まっすぐに寝た状態でお納めする形が主流です。

この形式を伸展葬といいます。
しかし昔は屈葬といい、手足を折り曲げて丸まった状態で埋葬や納棺をしていました。
屈葬がメインだった理由を示す説は

①埋葬する際に、穴を掘るのが楽
②丸まった状態が胎児の姿勢に似ており、死者の再生を願った
③屈葬で懐に巨大な石を抱かせる場合もあり、死者が復活して悪さをしないようにした
④日本の昔の座って入るタイプのお棺の「座棺」、桶型の棺の上に柱を通すと2人で運びやすい

などの理由があります。伸展葬は安置の眠っている状態を再現するためと言われています。

いかがだったでしょうか?
葬儀に対する考え方は時代や文化によって、違ったり変化してきたことが見て取れたと思います。
逆に葬儀を知ることで、その土地の文化を深く知るきっかけになるかもしれません。

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  • この記事を書いた人
蜷川 顕太郎

蜷川 顕太郎

最後の刻も故人様らしく迎えられるように全身全霊を尽くします。

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